もういちど ルミナス 感想

ガルパのバンドにおいて全てのバンドに共通することとして、どのバンドも強烈なカリスマ性を持つボーカルを中心にメンバーが集っているという特徴がある。文字通り十人十色のメンバーが1人のカリスマのもとでバンドというひとつの存在を形成しているが、ではそのボーカルがメンバーをひきつける引力を失ってしまったらどうなるか。もちろんバンドによってプロットは全く違うが、バンドストーリー2章はどのバンドも大きなテーマとしてはそういう話を描いていると思う。

これに加えてパスパレでは1年ちょっとの間に何度か描かれているテーマがあって、それは「2人の天才に挟まれた何者にもなれない私」こと千聖の葛藤である。愚直すぎるほどの努力の天才こと彩、何者も理解できず何者からも理解されない天才こと日菜、そんな2人とは違って自分を“つまらない人間”としか思えない千聖。今回の「もういちど ルミナス」では、前述のパスパレの引力が失われるという危機、そしてこの千聖問題を「夢」というキーワードで繋げながら展開している。

時に自己嫌悪しつつ、薫や彩との対話を通して、千聖は彼女なりに「夢」に折り合いをつけることができた。夢とは何か、アイドルとは何か、その問いに対して「もういちど ルミナス」の中では答えを見つけられなかったメンバーもいたものの、彼女たちなりの自分がパスパレにいる理由を見つけ、それを「Pastel*Palettesの夢」として共有することができたことは間違いない。

ところで、パスパレメンバーとしての(さらに言えば芸能人としての)自分を見失いかけていた千聖を助けたのは彩だったが、そんな彩をパスパレのボーカルとして再び立ち上がらせたのは日菜だったという事実は、パスパレの2人の天才という考え方から見ると興味深い。パスパレがパスパレであることに誰よりも意義や楽しさを感じていたのは、実は彩でもイヴでもなく日菜だったのかもしれない。

パスパレやめちまえと言い出した時は本当に何言ってんだおまえという感じになったが、芸能人というかアイドルというか、とにかくそういうアレとしてのキャリアが軌道に乗り出したことで悪い意味での満足感があり、パスパレのあり方が微妙になりかけていてもなあなあで済ませていた彩にとって、なぜパスパレをやっているのか?という問いを投げかけてくれる役は必要だったし、それが日菜だったというのは意外だけど必然だったように思う。本当はパスパレを続けたいという気持ちがあることに共感して寄り添ってくれるイヴの存在は必要としても、まずそこに至るために刺激を与えてくれる存在としての日菜が必要だった。

パスパレ活動停止の危機を逆説的に救う起点となった日菜、そしてバンド活動の中で最も人間として成長した日菜を称えるためにCDのカップリング曲はWonderland Girlにしてくれると嬉しいなあと思っていたが、ねばーぎぶあっぷも麻弥曲でかなり好きなので無問題です。

戸惑いながらも色とりどりの輝きを放つパスパレのメンバーたちのことが非常に愛おしく、そしてだからこそパスパレというバンドは面白いと思わされたストーリーだった。白鷺千聖の白いキャンバスを彩るのは丸山彩、なんやな……

そんな夢を語るパスパレに対して、私は夢を見ています。