ソーシャルゲーム死亡遊戯 (Social Game of Death)

こういうこと大声で言うのも品がないとは思うんですけど、セルランやアクティブユーザー数など客側から見えるKPIを見ただけでも「これってどうやって運営やりくりしてんの?」と思ってしまうソシャゲってたまにありますよね。そういうタイトルはだいたい同じ開発元が別に主力タイトル持ってるというパターンが多いですが。でもやっぱり短絡的な思考をしてしまいがちな私からすると「バ◯◯のチームの人たちはちゃんとご飯食べられてるんだろうか……?」とか思ってしまうわけです。

しかし改めて振り返ってみると、「私が何円茉梨ガチャに突っ込むと◯◯ガのチームの人たちはおいしいご飯が食べられるのか」という問題に対する答えはわからないわけです。なんとかプレックスが何千億円売り上げたみたいな超マクロな話と、バンドリでなんかエモいガチャが出たので目玉2人出るまでガチャを回してみた!みたいな超ミクロな話しか、ユーザーの立場としては聞くことができません。

かといって、ユーザーが「このガチャを回せばUNEIの人が松屋以外の晩飯を選択できるので回そう」と考えたり、逆にUNEIが「来月は松屋じゃなくて大戸屋で晩飯を食べたいのでちょっとガチャ絞ろう」と考えたりするのもそれはそれでなんか違うなと思います。別に開発運営がおいしいごはんを食べるためにゲームが存在するわけではないのです。ユーザーがおもろいと思うためにゲームはあるのです。

というのが本音であっても、やっぱりお金がないとこの世の中を渡っていくことはできません。本当にユーザーがおもろいと思うためだけにゲームを作るなら、そのゲームはタダで渡してユーザーがあげたいと思った分だけ開発者にお金を渡すという形にすればいいのですが、私の知っている限りそういう運営の仕方で成功しているゲーム会社はないと認識しています。どこもゲームそのものか、あるいはゲーム内で使える何かの対価としてお金を要求してますよね。じゃなかったら社員が飢え死にしたり次のゲームが作れなかったりするからです。

……などということを考えていると、ゲームの面白さとお金の関係がよくわからなくなってきました。UNEIがおもろいゲームを作ったらユーザーはお金を入れるのか? ユーザーはおもろいゲームをやったら本当にお金を入れるのか? そもそもおもろくないゲームにもユーザーはお金を入れてるという事例があるのでは? えっじゃあおもろいゲーム作らなくてもよくない? 等々。

おそらく意図的におもろくないゲームを作ろうと思ってそういうゲームを作るゲーム開発者はいないと思いますが、これがおもろい!と思ったゲームを作った結果それがそんなに面白くなく、なおかつユーザーがあんまお金を入れてくれなかったら結構たいへんですよね。